高校野球の名門・PL学園出身の中尾 敏浩

中尾 敏浩

数多くのプロ野球選手を輩出している高校野球の名門校・PL学園。中尾 敏浩もPL学園出身のプロ野球選手でした。

中尾 敏浩は中学からPL学園に入学し、高校2年生時の1999年に春の選抜高校野球大会でPL学園は惜しくも準優勝、中尾が3年になった2000年の選抜では彼は2塁手の選手として出場します。自身は活躍しますが、チームは3回戦で敗退します。3年時には一学年下の今江敏晃と二遊間を組んでいました。青山学院大学硬式野球部へ進学し、外野手へ転向。大学野球では活躍し、ドラフト候補と目されましたが指名されませんでした。大学卒業後JR東日本に入社。ここでも野球を続け、2007年の都市対抗野球大会ではチームの主軸選手として準優勝の原動力となるなど活躍します。そしてヤクルトからドラフト指名を受け、ついにプロ野球選手となります。その後二軍の試合では活躍しますが、一軍での試合出場は2試合に留まります。そして2011年限りで引退します。高校野球で有名なPL学園出身のプロ野球選手はよく知られているものですが、中尾 敏浩の場合は広く覚えてもらうことができないまま引退したと言えます。